お料理教室をやっている知り合いの家にお邪魔した時のことです。

その人は私よりも8歳年上ですが、趣味が合うので時々会っています。

その人は料理やテーブルセッティングなどが得意で、2年前に家を改装して自宅サロンを開いています。

その日はレッスンがない日だったので、ゆっくりおしゃべりをしていました。

最近ハマっていることや美容方法など話したいことは色々あるので時間がどんどん過ぎていきました。

お茶を飲んでいる部屋の隣は和室になっていました。

ふすまが半分開いていたので、そこに飾ってある雛人形が見えました。

お雛様といってもちょっと変わっていて、陶器で出来ている立雛でちょっと大きめでした。

折角なので、近くでよく見せてもらうことにしました。

ちょっと重いので安定感があり簡単には倒れないと思いました。

その人は部屋のインテリアにも色々凝っていて、家具はアンティーク調で揃えていてすごく素敵でまるでインテリア雑誌のモデルルームのようでした。

人によってお雛様の選び方もいろいろ違うということがよくわかりました。

同世代のママ友のところでは、5段飾りのお雛様を飾っています。

私が子供の頃は、ガラスケースに入ったお雛様がありました。

お雛様と一口にいっても色々なスタイルがあるものだと思いました。

雛人形通販専門店 工房天祥|人形広場

ひな祭りの起源説は複数存在していますので、いくつか紹介させていただきます。

ひな祭りの起源は、まず平安時代中期にまで遡ります。3月の初めの巳の日に、「上巳の節句」「弥生の節句」などの呼び名があり、無病息災を願う祓いの行事を行っていました。陰陽師を呼び、天地の神に祈り、食物を供え、人型に自分の災厄を托して海や川に流すというものでした。

また、平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、上巳の節句として「災厄よけ」の「守り雛」として祀られていました。

同じ頃、上流の少女たちの間では「ひいな遊び」というものが行われていました。ひいなとは人形のことで、いまでいう「ままごと遊び」のことです。

こうした行事と、遊びが重なり合って、「雛あそび」が節句としての「雛祭り」と現在のようなひな祭りとなりました。

 

安土・桃山時代では、まだ人形をつかったひな祭りではなく、祓いの行事として行われていました。華やかな女性の為のお祭りとなるのは、戦国の世が終わり、世の中が平和になった江戸時代からになります。

江戸初期の寛永6年に、京都御所で盛大なひな祭りが催されました。幕府の大奥でもひな祭りを行うようになり、だんだんとこの習慣は上流から町民へ、大都市から地方へと大きく広がっていったのが、今のひな祭りです。

江戸中期には女性だけではなく、女児の誕生を祝う初節句の風習となり、ますます盛んに催されるようになりました。

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こどもの日、というと男の子のための、行事というイメージが強いです。こどもの日は、端午の節句、とも言います。これは、中国から入ってきたものでして、中国では悪いことが起こらないように、ヨモギで作った人形を飾ったり、菖蒲という葉っぱを門にかけたりしていたのです。

鎌倉時代からは、菖蒲、というのと、武道や武勇を重んじるという意味の、尚武、というのが読み方が同じなのと、菖蒲の形が鋭い剣のような形であることから、男の子の行事となりました。

もともと、厄除けのためだったことから、強く大きくたくましく成長しますように、と、願いを込めたものに変わったのです。鎧兜は、武士の身を守るためです。、男の子の身を守る、武士のようにたくましく育って欲しい、と考えて、五月人形を飾るようになったとされています。

また、鯉のぼりも飾りますが、これは日本でいう鯉の滝登り、という言葉で、イメージするように、立身出世、成功して立派になって、名を挙げることを意味しているようです。

ひな祭りは、言わずとしれた、女の子のための祭りですから、それに対して五月のこどもの日は、やはり男の子が、メインなんでしょうね。

こどもの日、というのは国が昭和の時代になり決めたもので、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する、という日なのです。

それでも、こどもの日は、ひな祭りの日が女の子の日であるように、男の子の日としてバランスをとって欲しいです。